戦艦の論 THE SEVEN VI「たすかって ばあさんになって あたたかいベッドで死ぬんだ 今こんなところで死ぬわけない」








【 巨大怪獣 】 『タイタニック




ホワイトなジャック と 薔薇色のローズ のあいだに








 「ロ−ズ 船のチケットは本当に幸運だった」



 「それで君に出逢えた」



 「天のお導きだ 感謝しかない」



 「約束してくれ 僕のために、、、」



  (絶)









奇子』をお勧めいただいたきっかけは以下の投稿であった。



 _ 以下引用


タイタニック』は、一番最初に劇場で観たのが小学生の頃でした。
それから何度も見る度に、歌の『100万本のバラ』が連想されます。


「ある売れない画家が女優に恋をして、遂には家を売ってそのお金で街中の薔薇を彼女に贈る」という歌詞の、昔の歌です。日本語でもカバーされてますが、洋楽が原曲ですね。




『100万本のバラ』(原曲歌詞は、ロシア語版とその内容を訳した日本語版とで異なる)



その歌の歌詞では、話したこともない女優に対して、画家は家を売ってまで薔薇を買い占めたり、命を捧げる、とまで言っているんです。叶わないと知りながら無償の愛を捧げる、という所が『タイタニック』同様だなと、すごく思っていました。





 _ 引用おわり(以下は著者)



タイタニック』は、「フランダースの犬」や『風の谷のナウシカ』等との類似でたびたび取り上げてきた。それを受けての感想であった。


フランダースの犬
A Dog of Flanders シンクロニズム『タイタニック』の論
戦艦の論 3-17「お、おらと、つきあってけろ!」
AKIRA
戦艦の論 4-6「My Heart Will Go On. 」
風の谷のナウシカ
戦艦の論 5-3「その者 蒼き衣を纏いて 金色の野に降り立つべし」
サマーウォーズ
戦艦の論 5-6 「母さん、おおかみってどうしていつもわるものなの?」




ジェームズ・キャメロン監督が『100万本のバラ』を意識して、ヒロインに薔薇の名前をつけたかどうかは知らない。でも『タイタニック』ディレクターズカット版では、アメリカへ渡ったローズが後に女優になっている。シンクロしているのは間違いない。そのローズが恋に落ちた白馬の騎士、白いキャンバスを抱えて旅する貧しい青年の名前はジャックだ。



「ジャック」は、カードでトリックスターを意味しているあたり、ブラック・ジャックとの共通点も見出せそう、、。という流れで手塚治虫を連想し、存在すら知らなかった『奇子』を紹介され、生まれて初めてこれを読んだ。そして、改めて発見の多さに驚いた。幼い少女が「ピュアな内面を保持したまま艶っぽい美女」に変貌するのは「メルモ」だし、心と顔に傷を負った男が、険しいアウトローの道を歩むところは「ブラック・ジャック」の元ネタと言ってもいい。



主人公が「売れない画家」と「女優の卵」というのは、歌や映画の世界に限らず、小説や漫画でもよくある設定かもしれない。しかし、『タイタニック』はもっと本質的な部分において、日本の有名アニメのいくつかに似ている。だから、日本人にとってなじみやすく、他の各国と比べて異常に人気が高く、興行的にも突出して稼がせていただいた。ただし、それは成果から捉えた主因であって、出発時からあった市場戦略ではない。『タイタニック』が誕生しなければならなかった「なぜ」については、このブログを書き出す以前から、仮説を立てつつ考えていた。



継承する 宮崎駿安彦良和庵野秀明



例えば『タイタニック』と「フランダースの犬」の悲劇的終局で、同じ賛美歌が使われるのは偶然としてあり得るのかどうか。同一性を認識していない可能性はあるだろう。死に直面した荘厳な状況を演出する上で、宗教的な音楽の中から歌詞も踏まえてベストなものをチョイスしたら、結果的にそうなったというパターンだ。では、巨大艦船の舳先にラナが立つという『未来少年コナン』のシーンではどうか。



少女は何かの生贄にされているという暗示に見える。『タイタニック』のローズは、旧家の破産を逃れるために好きでもない成金男との、自由を奪われた結婚生活を余儀なくされていた。彼女はまさしくスケープゴートであった。偶然か否か舳先に立って、ナウシカのように手を広げ飛び立つポーズをとる、支えられている様は天空へ舞い上がるシータのようだ。設定は少しずつ違えど、クラリスの『ルパン三世 カリオストロの城』も似たような展開だ。さらに言えば、『ふしぎの海のナディア』( 監督;庵野秀明)、『クラッシャージョウ』(劇場版/監督;安彦良和)も囚われの美少女が鍵となってドラマ進行する。



そして、ひとつの「神話」に行きついた



さて、『機動戦士ガンダム』と『奇子』は長編なので、どこにポイントを置くかで、見方、見え方は相当異なってしまう。しかし、その深層、本質部分においては同根だ。ア・バオア・クー(怪物の住む塔の意)からセイラを導き出し、土蔵(古い因習)の中から奇子を救い出すというのは、象徴的には「英雄がお姫様を助け出す物語」の部類に入る。これを「アンドロメダ型神話」と言う。同様の話はギリシャだけではなく、世界の各地に分散している。『STAR WARS』しかり、『Roman Holiday』しかり。古代大和では「ヤマタノオロチスサノオノミコト(とクシナダ姫)」が該当する。



すなわち、似ているのは大元の大元の伝説・哲学であって、たかだか十数年内の並列記録の因果だけではない。キャメロンが日本のアニメを部分的に真似たとしても、それ自体に大きな問題はない、手塚も宮崎も、海外の映画をさんざん真似ているのだから。そもそも、昔話と呼ばれる文化資産は総じて紀元前神話からの流用だし、宗教的説話からの引用だ。問題なのは模倣ではなく、時世に合わせた発展的継承となり得ているか否かである。それをうかがい知ることなく、意味を理解せず、難産の上の大ヒット初期作を、表層のみテンプレート化して飾り立てたとしても、作品としておもしろくなるわけがない。そのような、シンの継承者足らない凡庸制作者の劣化コピーシリーズに、ビジネス上の権利保護を与えるのはあまりにタンニンだ。




 ひさかたの つきのひかりの きよければ 


 てらしぬきけり 唐(から)も大和も 昔も今も うそもまことも


  良寛




夢を閉ざされたローズは、始め暗く沈んでいた。だが何色にも染まらず、清らかな心持ちのジャックに照らされ浮き上がり、見栄と欲望と金権力の、どす黒い威容を誇るタイタニック号から解放された。バラの色も、光の当て方によって、眩しく白く輝くこともあれば、漆黒の支配を受けることもある。時々で見る印象は違っても、時代により、場所により、物質や自然や人の中身が変わっている訳ではない。



過去の偉人たちが研鑽し、遺してくれた伝承には智慧が詰まっていた。色・光・闇・空・天下、それらの相反するものも、すべては表裏一体とみなす悟りである。抗いきれない災難に直面した時や、希望を失いかけた時にこそ役立つ優しさだ。








 久方の 月の光の 清ければ


 照らしぬきけり ゴジラもヤマトも セブンもエヴァも アムロもアトムも

















にほんブログ村 アニメブログへ
にほんブログ村