戦艦の論 THE SEVEN IV「えー、今日は2016年2月7日です。北が弾道ミサイルを発射しニッポン上空を通過、地球に落下しました。」








第六幕  - 【 東西天地文明の “ 出会い ” と “ 衝突 ” 】( 4 )  “ 存続か、解散独立か ”




日本人来る  其の二  

〜 スター界の覇者は 〜  





ジャックと天空の巨人




ユニオン・ジャックの国の「デヴィッド・ボウイ」と、光の国の「帰ってきたウルトラマン」、重なるのはジャックという役名だけではない。デヴィッド・ボウイは宇宙人を自称し、スターマンという世界的ヒット曲を持っている。公開されたばかりの映画『オデッセイ』(原題『火星の人』The Martian)では、ロック・スター誕生とその終焉を表現した曲「スターマン」が効果的に使用された。







火星の赤をイメージカラーにしているウルトラマンは、宇宙怪獣ベムラーを追って、偶然地球にやってきた正義の宇宙人だし、映画に進出したデヴィッド・ボウイは『地球に落ちてきた男』のイケメン宇宙人だった。そのスターマンに本気で好意を抱いた地球人女性に、デヴィッド・ボウイが正体を打ち明ける場面がある。衝撃の告白は、「ウルトラセブン」のダンとアンヌのように美しくはなかったが、異星人の秘密の告白という点では同じだった。


『地球に落ちてきた男』が公開された翌年に、地球に落ちてきた『スーパーマン』が公開され、さらに翌年『太陽を盗んだ男』が日本で公開されている。『地球に落ちてきた男』と『太陽を盗んだ男』は、いずれも、スター(星)と男(マン)に動詞の組み合わせで成り立っている。『太陽を盗んだ男』の英語のタイトルは『THE MAN WHO STOLE THE SUN』なので、『地球に落ちてきた男』の原題を意識しなかったとは言えないだろう。


話は寄り道するが、この論文(アンヌのキャプション)、「何々の論」のシリーズは、『太陽を盗んだ男』の評論よりスタートした。


太陽を盗んだ男』はもともと、『日本 対 俺』という、『シン・ゴジラ』のコピー(「ニッポン対ゴジラ。」)をパクったような仮題が付けられていたが、『太陽にほえろ!』が当時、刑事ドラマとして大大ヒットしていたので、「太陽」は、題名通りそっちから「盗んだ」のだと思う。正直で男らしい監督の名前は胎内被曝怪獣「ゴジ」だ。そして、内容的にも随所に『太陽にほえろ!』からのインスピレーション、もしくは発展的パクりが垣間見れていておもしろい。(いずれ解説するつもり)


参照 → http://www.variety.jp/eiganoron/mirumono7.html シンクロニズム:映画の論 第1部『太陽をみるもの』7 RX-7


この映画、何回見たかわからないのはガンダムと同じで、セリフはほぼ暗記している。主人公が、常人には思いもつかぬ、大胆な企てをしている背景の中に、「スーパーマン」と「ウルトラマンレオ」を意図的に入れているのは気づいていたが、デヴィッド・ボウイが話題となって『地球に落ちてきた男』を見るまで、『太陽を盗んだ男』のタイトルにイギリス映画(英米合作)の影響も入っているとは、ついぞ知らなかった。



『THE MAN WHO FELL TO EARTH』



時代超越的で「ユニバーサル」な一人の男が、ほぼ独力で国家体制に影響を与える事業を起こし、最終的に破滅に至るストーリーや、世間通念とはだいぶ異質な価値観と、幻想的なシーンを織り交ぜているところも似ている。主役を演じたのが、当時の音楽界のスーパースターだってことと、今でもカルト人気を誇っているのも大きな共通点だ。


手製原爆犯罪アクション『太陽を盗んだ男』で、菅原ヴンダーとホモっぽい宣伝ポスターに起用された、藤島じゃない方の「ジュリー」、こと沢田研二は、『戦場のメリークリスマス』で、坂本龍一に決まる前にヨノイ役の候補でもあった。


細身で色白のボウイとジュリーは「ユニセックス」なところも似ている。『戦場のメリークリスマス』のCM、予告編プロモーションにおいて、もっとも注目を集めたのは、軍事的に敵対する美形の男同士が、頬を赤らめキスをするシーンであった。同性愛の描写がタブー視され、やおい文化が良家の子女を浸食していない時代だ。



ひとつだけの「花」より、たくさんマンジュウ



戦場のメリークリスマス』で無実の死刑判決を受けたジャック・セリアズは、ヨノイによって救われ手厚く保護される。ところで、なぜ遠回りをしてまで、銃殺を偽装しなければならなかったのであろうか。作中では描写がなかったけれど、「世界に一人だけのアンヌ」の曲で知られる、某スターグループの謝罪会見(公開処刑)を見て理解できた。


はじめからヨノイは、彼の命を救おうとしていたのだ。しかし、美しく聡明な英国兵士への同情では判決理由にならない。そこで、あえて残虐な方法を考えた。末端兵士ではなく反抗的な士官だったので、一計を案じることができた。


「ただ殺すのはもったいない。銃殺の演出により、一度殺される気分を味わえば、いやでも日本軍に屈服するだろう。」そう、上層部に進言したのだ。だれが一番強く偉いか分からせる、もっともサディスティックな方法は、大量破壊兵器による秒殺ではない。事実上の主砲を派手に打ち鳴らし、相手をじわじわと萎縮させ、真綿の鎖を付けて飼い殺しにすることだった。


西洋コンプレックスを抱いている判事は、そのデモンストレーションに異を唱えない。案の定すんなり通る、状況は最悪だが命さえ救えば、あとは心のケアだけだ。閉鎖された組織の中で、独占的な権力の座につく老獪な狸や、労働党第一書記の大好物は、自分より若く有能な人材、または古く伝統ある国家が跪き、命乞い(生中継)をすることだった。



「ただ殺すのはもったいない。水爆ミサイル打ち上げの偽装により、一度殺される気分を味わえば、いやでも日本は屈服するだろう」


















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