シンクロニズム 戦艦の論 6 - 7 「その日本人たちは教えてくれた。俺たちにだってできるはずだと。」






宇宙人来る  其の六  


〜 『 ゴ ジ ラ 対 宇宙戦争 』 〜  

 「君の見たい(ゴジラ)が見れるよ」3



「権利関係」という最もタンニンなシステム支配下に関わらず、ゴジラの出てこない(ゴジラ)のような作品を果敢に製作してきた先達が、キャメロンのほかにもいた。


一作目ゴジラに続く、歴代シリーズにタンニンしていた熱心な初ゴジ信望者は、そんなクリエーターを多いに支持した。そして、そぞろ神が乗り移ったように、「突激トレーラー」達が目覚めると、古代の怪獣を一時忘れ、これに心狂わせた。神まねきにあった彼らが尊崇したのは、東海岸ビーチをパニックに陥れた、三報海神『 ジョーズ 』と、教会の十字架を土中に沈めた『三本足戦艦』である。



さる関係者には誠に遺憾ながら、両者こそユニバーサル・バラエティ生態系の頂点に君臨する、真の呉爾羅であった。結果的に、ファン希求のゴジラ待望熱は、それら「ゴジラの出てこない、国外の(ゴジラ)」によっても解消された。



かつてハリウッドで製作された『 三本足戦艦 対 トム・クルーズ 』は、見てくれこそメインキャラクターが、機械兵器の暴力と無慈悲と不気味さとを、正式契約に基づいて宣伝しているが、その実態はあろうことか「SF・戦争アクション」ではなく、『ゴ ジ ラ』がまさにそうであったように、命を賭して愛情表現する、不器用な男の一途過ぎる「ヒューマン・ドラマ」であった。



ゆえに、名称と中身が一致しないだけでなく、連想がスター・ウォーズに逆流(Strikes Back)し、シンクロがリジェクトされる現象が起こってしまった。そうした意味で、改めて権利元からではなく、ガテン風に、最下段から職種分類ネームを付けるならば、このタイトルには『クレーンオペレーターの逆襲』がふさわしい。




 バクテリアの効用



公開当時、世界最高興行収入を上げた、モンスター級侵略兵器の重要な弱点は、指に刺さった「トゲ」に完全凝縮されている。出世作E.T.』では、宇宙人愛についての主張が伝わり過ぎたためか、監督スピルバーグは次に製作する宇宙作品から、思い切り分かりやすく舵を切り直した。そのため、全生類の敵となった先進宇宙人とのワールドワイドな防衛戦を、「混入」程度に比重軽減された『宇宙戦争』の、「巨大メカ、ボテッとなシーン」は、期待した意味での理解に届かなかった。



アイロニカルな表現として、十分痛烈だったにも関わらず、ラストにいたるまでがあまりに残酷で、その過剰な描写のせいで、ほとんどの観客の期待は冷め、良心的思考を止めていた。異物を排除することで、グローバル生態系の調和をはかった『 地 球 』の真正細菌とて同じことだ、なんともったいないメッセージであることか。映画中盤、トム・クルーズの隠れ家へ遊びに行っていたらしい、純真な子供宇宙人たち(チブル星人 X グモンガ)は、母船の雄叫びにビビって退散した。その時、生水を飲んでいたため、食あたりをして後に全滅する。ゴジラの猛々しい咆哮に、その音階が似ている特殊効果音は、『未知との遭遇 』母船の警笛音をベースに奏でられていた。



上からの圧力よりも港湾労働組合を優先とする、トム・クルーズ演じる主人公の視点は、映画の世界観に入り込んだ、恒常的な観客(カメラ)の立ち位置であった。ほとんどの場合、地上からの目線で、巨大な三本足怪獣を見上げていたが、主人公に合わせて二度だけ空に浮いた。イントロダクションであれば最初に登場する、船舶積荷のクレーン『操縦席』の高さであるし、クライマックスであれば「たこメカ」の積荷として、釣り上げられ、押し込められた『獲物籠』の高さである。そして、人喰いハンターの触手がトムに巻きつき、あわや一巻の終わりと思われたその時、油断していた向こうの胃袋で、手榴弾からの内部誘爆を生んだ。



 Mars, the Bringer of War



さて、誰もが知っている「ジョーズのテーマ」(作曲 ジョン・ウィリアムズ)を、歴史的初期段階に使ったのはクラシック界のドヴォルザークであった(「新世界」第4楽章の出だし)。しかし、低音で始まるメロディーを繰り返し演奏することで、世間に恐怖を定着させたのは、実際のところゴジラ(作曲 伊福部昭)である。「ゴジラ」のテーマは、ホルストの「火星」がその代表であるように、戦争をイメージさせる曲として、宇宙戦争のみならず、セブン(「侵略者の魔手」)やジオン(「窮地に立つガンダム」)やエヴァ(「ANGEL ATTACK/The Beast」)にも応用されている。





ゴジラゴモラかガラモンを撮りたかったスピルバーグの「宇宙戦争」は、「火星人襲撃ラジオ番組」でも「アメリカン・ヒーロー・コミック」でも「星間戦争映画」でもない、「地上のみを舞台とした、家族密着ドキュメンタリー風ドラマ」として製作された。そのため、カメラは一時もトム・クルーズから離れない。まれに超人的な活躍をするものの、その内半分くらいは普通で、一割くらいは子供に呆れられている。それは、だらしない父親の目線で、カッコイイつもりの父親に贈る、極めてわかりやすい「虚栄」回避のための指南書でもあった。

















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