シンクロニズム 戦艦の論 6 - 6 「60秒でこの家を出る。食いものを詰めろ。だまってパパの言う通りにしろ。」






宇宙人来る  其の一  

〜 世界の覇者は 〜  


オープニング・ナレーション (モーガン・フリーマン)



 「人類」があくせくと

 日々を過ごしている間も

 彼らは観察を続けていた

 人間が一滴の水の中に

 ひしめく微生物を

 顕微鏡で目をこらして

 観察するように




 限りない自己満足で

 地球上を右往左往する「人類」

 彼らは自らを

 地球の支配者と信じていた




 だが

 はるか宇宙の彼方では

 高度な知能を持つ

 冷徹にして「非常な生命体」が

 地球に羨望の眼差しを

 注いでいた




 そして

 ゆっくりと着実に

 地球攻略の作戦を練っていた






以下は、「宇宙戦争」ハヤカワ文庫 2005年版 の冒頭文章である。


 _______

十九世紀末、よもや「地球人」よりも進化し、「地球人」と同じく有限の寿命を持つ知的生命体が空の彼方から真剣に、しげしげと地球を観察していようとは誰も思わなかった。


この生命体は何も知らずにあくせくと暮らす「地球人」を、水滴の中で増殖する微生物を顕微鏡で観察するかのように研究した。それに引き替え、わたしたち「地球人」は物質文明の頂点に立ったつもりで、その地位になんの不安も抱かず、日常の些細な問題で頭をいっぱいにして地球上を右往左往していた。まさしく、顕微鏡の下でうごめく単細胞生物の動きだったに違いない。夜空に輝く「古い惑星の住人」が地球に危機をもたらすとは、誰も考えつかなかった。
  _______



書かれたのは、同じく一人称で語られる古典SF小説アルジャーノンに花束を」発表の61年前であり、『スター・ウォーズ』公開の79年前であり、なんと、「広瀬すず」(『バケモノの子』)が誕生する100年も前である。



そして、それは「世界大戦」(World War I)が勃発する16年前でもあり、科学力が戦争の勝敗を左右するイメージを持っていなかった時代の産物としては、未来の出来事に対し恐ろしく教示的だったと言える。侵略の舞台となったイギリスは、その当時から思想家が心配するほど、微生物級にせわしなかった。上記文面の「地球人」は、産業革命に成功し文明の頂点に立ったつもりの、主にイギリス人について戒めていた。


一方、映画『宇宙戦争』ナレーションの「人類」は、その地位をイギリス人から「戦争」で奪い取った「アメリカ人」に置き換えることができる。







宇宙人来る  其の二  

独立記念日に襲われて 〜  



ニューヨーク郊外。

レイ」が港湾労務をこなし、フォード・マスタングを乱暴にアパートの車庫に突っ込むと、別れた妻「メリー・アン」が新しい夫「ティム」と共に現れた。時間に正確な彼らは、30分前より待っていたが、いつもの事だと怒る様子もない。



 「これが新車か、地味でいい感じだ」


 「やるねぇー、ティム」



馬力の出るアメリカ車以外に興味のないレイの嫌味に、微笑みで答えるティムは大人だった。
快適そうなトヨタ、もしくはヒュンダイから出てきたのは、兄「ロビー」と妹「レイチェル」、離婚協議に基づいて実の父親に会いに来ているが、笑顔ひとつ見せることなく、レイはおもしろくない。紳士的なティムに懐いているように見えるのも癪の種だ。


 「ロビーはアルジェリア占領のレポートがあるの」


美人で、教育にも熱心な元妻は、感情豊かで仕事の出来るレイのことを理解しているが、堅い社会との折り合いをつけるのが苦手な彼を持て余した。『タクシードライバー』のトラヴィスが、選挙事務所で働いていたニューヨークセレブと結婚したら、こういう結果になっただろう。


退屈な独立記念日の昼下がり、つけっぱなしのテレビは奇妙なニュースを伝えているが真剣には見ていない。



 「ウクライナは、今夜全土が停電中です、、」

 「ここ日本でも、大規模な地震に続いて各地から磁気嵐の報告が、、」



気分転換に息子をキャッチボールに誘うレイ、言葉の掛け合いに失敗し、ますます距離が離れていく。








宇宙人来る  其の三  

〜 元、父の日 〜  


今からちょうど十年前の水無月、6月。

映画『宇宙戦争』は公開された。

銀河系で初めて、ここ日本にて。


出し惜しみして来た「三本足の宇宙人」を、時差の関係でいち早く観れたのは日本人だった。この優遇には監督スピルバーグの、特撮王国への敬意も含まれている。原作ではイギリスが舞台であった設定を、映画ではニューヨークに置き換え、観察力の鋭い主人公「私」役は、どこにでもいそうなブルーカラーに設定された。見所である敵の侵略が始まるまでは、先に紹介したように、やや長めなホームドラマが展開されているので、重機動メカを一刻も早く見たい人には、緊張感のない冗長なシーンが続く。


アルジェリアウクライナや日本の様に、遠い世界のどこかで起きていて、誰かが助けを求めて、誰かが死んでも、自分には差し迫って関係ない、という事件や災害や戦争は、常にそこいらにころがっている。学校の先生は、数字を用いて事の重大さを説明し、現地レポーターは時に必死な面持ちで、警戒のためのメッセージを繰り返す。それこそが教科書やテレビの中に星の数ほどある日常で、いつか自分の身内に降ってくるとは予想しない。外には差し迫った危機が忍び寄っているのに、些細な問題で頭をいっぱいにして、右往左往するの余念がない。


アルジェリア」と「ウクライナ」と「日本」から、世界を震撼させる甚大規模のニュースが発信されたことは記憶に新しいが、いずれも映画が公開された後の、まぎれもない非日常的現実だ。


さて、示唆に富んだ導入部は、重機動メカ「トライポッド」の目線の高さでスタートする。ダイナミックに経済活動を続ける、神戸以上の巨大貿易港を見下ろすところから降りてきて、映像カメラは、つましい暮らしを支える住空間に入り込む。レイチェルの指に刺さったトゲや、レイが一口でやめたオーガニックフードのエピソードは、後半の伏線となっている。


窓のすぐ外には教会や商店や学校があって、雑多な種類の大勢の人がそぞろ歩き、それなりに楽しそうで賑やかだ。そんな中、かすかな異変は、そよ風に乗ってやってくる。パタリと風がおさまると、突如稲光がはしり、余裕を見せていた人々の顔は一斉にひきつり出す。みんなの心配は、徐々に徐々に大きくなり、もうどうあがいても元に戻れないまでに極大化する。


そこで起こったことは、「ヒロシマ」、「アウシュビッツ」、「ワールドトレードセンター」の再現だった。










宇宙人来る  其の四  

〜 六人の登場人物と一つの兵器〜  



 「テロリストなの ?」



「よそから来た奴らだ」



 「ヨーロッパから来たの ?」



「ヨーロッパなわけねーだろっ !!」




息子ロビーに本気ツッコミするレイの名前は、レイ・ハリーハウゼンから来ていると思われる。


 1. レイ (トム・クルーズ) ← 「レイ・ハリーハウゼン
 『原子怪獣現わる』監督


車の中でヒステリーをおこす妹は、


 2. レイチェル (ダコタ・ファニング) ← 「レイチェル」
 『ブレードランナー』のアンドロイド(ショーン・ヤング)


それをなだめるのが得意な兄は、


 3. ロビー (ジャスティン・チャットウィン) ← 「ロビー・ザ・ロボット」
 『禁断の惑星』に出てきた、一般的ロボットの原型


特撮の父に、SF界のトップヒロインなど、日本のアニメ・特撮に大影響を与えた名キャラクターを勢ぞろいさせている。



『禁断の惑星』の「ロビー」は、セブンの「ユートム」や、ヤマトの「アナライザー」や、ガンダムの「託児所ロボット」に似ているし、『ブレードランナー』の「レイチェル」は、不思議な雰囲気の「綾波レイ」、火星人の「山本 玲」に通じるものがある。ついでに、付け加えると後半登場するオグルビーは、原作では別の役割を担っていた。入水特攻「芹沢」が、最新版でゴジラの名付け親として再登場したように。ただ、オグルビーは結局殺され役だった。



 4. オグルビー (ティム・ロビンス) ← 「オーグルビー」
 小説『宇宙戦争』主要人物にして、序盤の犠牲者の一人


そして、端役の新父ティムは、


 5. ティム (デイビット・アラン・バスケ) ← 萌えの父「手塚治虫
(アムロのお父さんテム・レイ博士の由来もここから)


別れた妻でレイチェルとロビーの母親は、


 6. メリー・アン (ミランダ・オットー) ← 萌えの母「友里アンヌ」
(ウルトラ警備隊のほか、科特隊パリ本部隊員もアンヌ、同インド支部隊員は真里アンヌ。メリーアンとマリアンヌが同系統の名前ならば、真里アンヌと一字違いの友里アンヌとメリー・アンは連結する)


 7.カールグスタフ (スウェーデン製の無反動砲)  ← スウェーデン王「カール・グスタフ








宇宙人来る  其の五  

〜 他人の空似 〜  



手塚治虫」と「友里アンヌ」は仮説だ。そうは言っても、『A.I. 』を撮ったスピルバーグ監督が、「アトム」、「ブッダ」の手塚治虫に影響を受けていない訳がないので、因縁は捨てきれない。彼が、登場人物のネーミングによって、特撮とSFへの尊崇の気持ちを表したのは間違いない。


キング・コングやディズニーやスーパーマンがいて、昔はそれなりにカッコ良かったが、父(アメリカ)としては落ち目で、最近は、ゴジラジブリトランスフォーマーを手土産にしゃしゃり出てきた、新しい父親(日本)にいいところを持って行かれている。そんな日米オタク事情を反映しているようだ。


さて、日本に目を向けると、『時をかける少女』などの細田守監督が、影響を受けた作品、またはキャラクターを、思い切り自作品にかぶせる例が見受けられる。昨年、「母の日」にあわせて書いていた記事がそれだ。



おおかみこどもの雨と雪

 母「花」 ← 「アンヌ」(アン、ハンナ、ハナは同じ語源)

 姉「雪」 ← 「森雪

 弟「雨」 ← 「綾波レイ」(髪型と赤瞳のルックスが)

 http://d.hatena.ne.jp/BRIDGET/20140511/1399750465



スピルバーグ監督が「父と子たち」によって、原子怪獣とレプリカントと旧式ロボに敬意を表明したように、細田守監督は「母と子たち」によって、セブンとヤマトとエヴァへの愛を宣言した(ように解釈できる)。「戦艦の論」では、「オマージュ」と言えるような主体的関与は不明ながら、偶然とみなすには似過ぎている事象を「シンクロニズム」と呼んで、公的解説と区分けしてきた。これからは、そのような私的解釈論の中でも、神話的キーワードで表象されている例を「憧憬の空似」として、明らかに見極めていく。

















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