『17歳の地図』らこて
影介 プロフィール 第三巻[履歴前編]
- 画 の代表選手 -
「計画」と「映画」と、「絵画」
『卒業していったい何わかるというのか、ジャパン』
其の壱「計画」
高校生のころ、
黒澤映画にはまった。
黒澤明は、
絵でシナリオを書いていた。
元クラス担任の美術教師が、
「おめさん、作家にならんのんか?」
と問うたから、俺って文才あるのか、
と浮き足立ったが、
絵の方みたいだ。
「だっけさ、そんげ才能、生かせば映画に近ぃけー、
業界みてーなもんに入れっかもしんね、
ねっかて」(新潟弁)
と、淡い計画を描いた。
(当時授業は出ても小説を読むか落書きしていた)
でも、世の中の仕組みが分からない
勉強は嫌いだが、考えるのは好き
まわりに同調を求めるが、
話が難しくて理解されにくい(俺がね)
わからせるセンスって重要。
ニート → フリーター (当時これらの言葉はない)
プライオリティー。
取りあえず、世の中の成長点、
仕組みを作っているトーキョーへ出たい
絵の動かないパチンコのCMや、
いつでも曇りか雪の天気予報は飽きた
そして、晴海通りと
東海道新幹線を見下ろす会社にアルバイトで潜入。
業界(広告とか雑誌とか映像とか)に向こうから
「来てみれば」
と言われた。
バブル時代だった。
そのまま就職
担当業務にも恵まれ水を得た魚くん
「絵なんか描かなくたって、
いいんじゃん」(東京弁)
「色はついていないのか」(大佐)
「色以前に、絵も描いてないよ」
食えないアーティストより、
食わせるプロデューサーになっておこう
フリーター → 御家人(プロフェッショナル)
其の弐「映画」第一部
とは言え、
映画業界のプロとしては、
おのれ騙しの本気度が他の先輩たちほどでなく、
正直過ぎてバカをみる。
「宣伝なんか、ウソの愛による方便らねっか」
と捨て台詞。
大組織の恩恵を味わった上で、
それに寄らず個人の影響力を行使すべきとして
署名原稿を書き始めたのが10年と少し前
その残滓が
『映画の論』 とか
http://www.variety.jp/eiganoron/mirumono1.html
二章までしかアップしていないが、
実は、五章あった作品へのラブ論。
三章は2001年の同時多発テロの翌日書き始めて、
三日後にメルマガで6千人に配信した。
東京で大規模テロが起こった「らしい」
という実況を装った、
ある映画の結末談だ。
ただ、リアルにディテール描写したため、
冒頭にフィクションを明記していたにも関わらず、
海外を含めクレームが数件来て、除染作業。
影介というハンドルネームを使っていたのは、
給料をいただく立場(御家人)としての自主規制。
そのくせ、他社は実在名をそのまま使った、
その方がおもしろいから。
今読むと先取りし過ぎな個所もある。
路線を変えて、もっと分かり易いフィクションにしたのが、
“番外編”であった。
後編につづく
「線描10万回の攻防」
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