シン・クロニズム 映画の論 0 - 2 「しかし、 『2001年宇宙の旅』 は、映画のランドマークではありません。」
variety.com の記事を翻訳 〜 引き出しの奥から 〜
『2001年宇宙の旅』レビュー
But “2001” is not a cinematic landmark. It actually belongs to the technically-slick group previously dominated by George Pal and the Japanese.
撮影技術と特殊効果だけが素晴らしく、ドラマにはまったく欠ける。
レビューの辛口度☆☆☆☆
スタンリー・キューブリックとSFのスペシャリストであるアーサー・C・クラークが、最初にシネラマ(訳注:3 台のプロジェクターを用いて凹面の大型スクリーンに映し出し立体効果をあげる方式)の映画を作るアイデアを思いついたとき、どちらもこれが数年間に及ぶプロジェクトになるとは全く予想もしていなかった。
実際の撮影は1965年の12月後半にイギリスで始まり、追加撮影や撮り直しを含めると、1968年の初めまで続いた。俳優のケア・デュリアは、自分の出番を撮り終わってから(1968年4月に)公開されるまでの間に、他の映画1本(『女狐』)とブロードウェイの舞台(『Dr Cook's Garden』)に出演することができた。
素晴らしいのは撮影技術と特殊効果ばかりで、『2001年』はドラマティックな魅力に欠け、後半過ぎになるまでサスペンスもない。従って、キューブリックはあらゆる賞賛とあらゆる非難を同時に受けねばならないだろう。
いわゆるプロットは、何らかの展開が起こるまでに、ほとんど2時間を費やして、宇宙旅行とコミュニケーションの分野における科学の進歩を見せている。驚くほど退屈な序章は、ある猿人のグループをメインにして「人類の進化」について描いている。黒色の巨大なモノリスは少しだけ見ることが出来る。(これは地球外の惑星に生命が存在している可能性を示す鍵として、数光年離れた場所で再登場する。)
かろうじてユーモアが感じられるのは、多分宇宙時代にもまだ活躍していそうな、有名な商標が登場するときだ。例えば、軌道ヒルトンホテル、ハワード・ジョンソンの軽食、ベル社のテレビ電話、そしてパンナム社のスペースシップ。HALという名前のしゃべるコンピューター(声はダグラス・レインが担当。もともとはマーティン・バルサムだった。) は、この映画の中で最も印象的なものの一つで、驚くほどリアリティがある。
メインの宇宙飛行士役のデュリアとゲイリー・ロックウッドは、物語がだいぶ進んでからやっと登場する。彼らが、コンピューターの叛乱に気付き、それについて話し合っているときに全く喜怒哀楽を欠いているのはリアリティがない。
キューブリックとクラークは台詞を最小限に抑え、長々とした描写をしばしば用いながら、全てを視覚的に語っている。科学の進歩は、実際の2001年に起こりうるよりも遥かに進んでいるように思われる。つじつまが合わないのは、モニター上に現れる地球の人々が、1968年と同じ服装や振舞いをしているのに、科学者達は(カジュアルでさえ)、型通りの宇宙時代服を着ていることだ。
映画は混乱した雰囲気で終わる。「地球外生命」の姿を実際に描写することはなく、見るものの解釈にゆだねているのは明らかだ。
主なセットの一つである、2人の宇宙飛行士が生活する巨大な遠心重力室の製作には、750,000ドルかかったと言われ、その全てを見ることが出来る。レイ・ラブジョイの編集は概ね良いが、一つの光景を飽きるほど見せつづけたり、反対に場面が突然途切れたりするということが多すぎる。160分を超える上映時間は、冗長な導入部をカットすればもっと短く出来ただろう。(映画はプレミアの後キューブリックによって139分に短縮された。)
『2001年』は、以前のSFの力作に勝るとも劣らないが、最良のものというわけではない。ここには、『禁断の惑星』の人間性、『来るべき世界』の想像力、『Of Stars and Men』のシンプルさがない。作品は、実際のところ、以前はジョージ・パルや日本映画人が優勢を誇っていた「特撮」派に属している。
(1/1/1968)
___47年の過程で、これほど評価が激変した映画はないであろう。