大宮停戦会議で弁当を発注するなら

影介 プロフィール 第四巻[履歴續編]



- 駅弁 の代表選手 -


「松川弁当」と「愛の御膳」と、「黒豚みそだれ弁当」


大宮駅の売店に偶然掲示された、
この三つの駅弁には共通点がある。


米沢と直江津

左右は、米沢駅直江津駅が販売拠点。
大宮を中継し、かつては『つばさ』号と『あさま』号が上野より向かっていた。

『あさま』は今、長野が終着駅である。
『とき』号より『はくたか』号に乗り換えねば、直江津には到達しない。

歴史に詳しければ、米沢と直江津(上越市)が城下町であって、
いずれも城主が“上杉家”であると気付くだろう。

米沢の老舗「松川弁当」は峠の弁当として、あまりにも有名。
直江津の方は、直江兼続ブームにあやかって、前立ての“愛”を名乗っている。

上杉家が越後より会津に移封された後、領地が家康に没収されたため、兼続の所領であった米沢を、主君のために差し出した。

その後も上杉に仕えながら、当地発展に寄与したことから、街起こしのシンボルとなった。松川弁当店でも当然ながら、ネーミングに兼続をあしらった商品を展開している。

さて、決定的な共通項はその製造場所にある。
真ん中は大宮駅弁であるが、となり川越市の会社が製造している。
さほど有名ではない、、、。


川越と越後

実は、越後上杉に家督を譲った正規の上杉家は、武蔵国「川越」(河越)の城(館)主であった。これも有名ではない(太田、徳川のイメージが強い)。

北条に川越本拠地を追われ越後に落ち延びた上杉一族は、会津、米沢とDNA(非生物的)を受け継いだ。

越後上杉家(旧長尾)の家臣、直江家は生まれた実家(俺のね)の隣町与板(現長岡市)の城主。

実名の安達はその辺に多い姓で、系譜診断によると武家につながっているらしい。その、いい加減さは置いておいても、生物的DNAはつながっているだろう。



新潟平野の西川とは(推論)


水運で栄えた与板から実家のある町の周辺は、大川(信濃川)の乱流地帯であり、本格的に河川改修を試みたのは、兼続であったということだ。

治水の祖と云えば武田信玄であるが、応急的なそれと比べ、規模からいって遥かに凌駕する。戦略思想に基ずく大工事なのだ。比類なき頭脳と実行力を持つ直江兼続、地味な部分もスゴい、というのは大河ドラマを見ただけでは分からない。


信濃川は大川津という地で大きくカーブする。そこで兼続が人工的に整流させた(とおぼしき)「西川」(旧信濃西川)という川で、自分は拾われたと聞いたことがある(w)。

近世までは西川も信濃川本流の一つであったが、度重なる洪水で堆積した土砂が作った「自然堤防」により塞がれてしまったと思われる。

水害の多い新潟平野では、他より若干でも高い土地に人が定住し集落となる。街道に沿って小さな宿場となったその町は、青年期、かの清貧の僧、良寛和尚が学んだ地蔵堂である。

私が住んでいた地域には、「大武新田」、「新町」という隣り合った町名が存在する。「新」という地名から想像できるよう、ここはかつて信濃川河川であったのだろう。(河川敷金脈の元祖である)また、その隣に県内でも有数の米取引所があり、その辺りは「栄町」と呼ばれ料亭が並んでいた。

明治に信濃川堤防が決壊し、多くの犠牲者を出すと、日本海への短絡放水計画が本格化し、大規模工事のために多くの役人、建設業者が集まって来た。すると接待需要で芸者文化も花開いた。後に「おいらん道中」という、地域観光資源が育つのはそのためである。

地蔵堂町は合併を経て分水町、燕市へと変遷する。分水は文字の通り、信濃川分水が由来だ。分水されなかった信濃川本流は、洋食器で栄えた燕でさらに中之口川と分かれる。この川は、兼続が付け替えをしたことが知られている。

ところで、燕のツは川港の「津」から来ており、鳥の燕が由来ではない。

さて、上流の与板には『天地人』の後付けコーナーなどで、全国に紹介されている直江兼続銅像がある。作者で彫刻家の茂木弘次氏宅は、燐家なので幼い時によく遊びに行き、武具や鎧などを、珍しいものとも思わず見ていた。


各駅から特急に乗り換えて


毎年のようにアカデミー賞と関わる、メジャー映画会社の宣伝部社員が、当時なりたかったのは、素朴に「気車」の関係者。ローカル沿線だったので電車とは言わなかった。

(汽車と気車は意味が違う、ここでは気動車の漢字を当てたが、幼児にとって鉄道世界の憧れがイコール気車であったのだ。しかし分別ついた、いい大人が、鉄道全般をすべて電車という言葉に置き換えるのはいかがなものか)

隣町の与板にはマッチ箱のような鉄道が走っており、その電化に貢献したのが角栄だったことは東京に出てから知った。長岡大花火の舞台として有名な、旧信濃川河川敷には、越後交通本社ビル始め、多くの商業施設が林立している。

越後交通長岡線廃線となってから年月が経つが、かつての形跡を求めて、週末ごとに帰省していたこともある。東京のダイナミズムも捨てがたいが、離れてみると、のんびりした風景への愛着が増してくる。

角栄の生家は、「中越沖地震」で注目を集めた柏崎刈羽原発に近い。しかし、選挙地盤は「中越地震」の震源域、魚沼地方(兼続生地もある)である。

181系『とき』号の、絶好の撮影ロケーションのある八海山麓を、「鉄」分含む「チャリ族」の俺は、しばしば自転車で走り回っていた。

ともすれば件の土曜日、映画『コラテラル』の先行立ち会いで、有楽町に向かっていなければ、脱線した200系新幹線『とき』号に乗っていたかもしれない。

ところで、松川弁当店(の飲食部門)には、今の仕事に絡んで3月に訪問した。
勤務先(私のね)が「黒豚みそだれ弁当」を製造していて、駅弁とは関係ないイベントで接点があったからだ。

日程チャンスは二回で、もう一方の11日を選んでいたら、E3系新幹線『つばさ』号の中で立ち往生していたかもしれない。鉄道への憧れが映画に変遷し、広告屋経由で駅弁屋(かな?)にJターン(新潟→東京→埼玉)するという身震い話であった。


『明日のことなど誰も分からない、ジャパン』
Self Control (By TM NETWORK




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