映画上映権 パート2


映画上映権 パート1 
より続く


もっとも、「副次的には」お客さんの満足も極めて軽視できない。


舞台挨拶などのイベントを行うことで、より映画に好感が持てれば口コミの作用が期待できる。
そのため、ジャパンプレミア、ワールドプレミアと称する催しが盛大にとり行われる。


ところが、これもまたクレームの種で、会場に空席が残れば、応募して招待にもれた人から不満が出て、
それとは逆に満員であふれてしまえば、招待されたにも関わらず入場できなかった人から苦情が来る。


大量に葉書応募したのに当選しなかった人は、主催者の策謀であるとか勝手な憶測を立てて、
ファンとして追いかけているタレントに会えなかった不満のはけ口を誰かに求める。


主催者はできるだけ多くの人に、少ないチャンスを分け与えるため、参加率(歩留まり)を計算して、
実際の座席数より多めに招待枠を設定する。しかし、種々の事情で予測が狂い、
辞退者が少なく結果的に席が確保できない事態も起こりうる。
しかし、これもマーケティング途上にある試写会ならではいたしかたない。


有料興行の場合は事前予約や、キャンセル(契約破棄)に対する対策が立てられるが、
テストを建前とする試写会の場合、来場するかしないかは、あくまで招待者の自由意志に委ねられる。


無料であることによって、拘束が効かないのである。
結果事象だけしか把握していないと、身勝手なクレームの対処はどこまでいっても平行線をたどる。


招待する側としては、問題が出ないよう計画を立て気配りするが、
「無料で特別な権利」を手にしたと理解している人を納得させることは難しい。
「配給会社」と「試写会ファン」との間には、そもそもそんな虫のいい契約は存在しないのに。


しかしながら、媒体社(「マスコミ」)が間に入ることで、権力の三極構造が出来上がる。
媒体はプレゼントとして試写会を告知する場合、わざわざ「映画宣伝のために無料招待します」なんて断りを挟まない。
お約束が半ば状態化し、本来の目的を忘れて一人歩きする事はよくある。


業務を委託された宣伝スタッフも、ルーティーンで試写会枠を分配しているから、
ノルマをこなすようにプレゼントの大量発送してしまう。
この仕組みを、いいようにつけ込まれて、
「無料じゃなきゃ新作は見ない」と試写族に言わしめているのは問題である。
一方で有料鑑賞者は、その分、広く薄く費用を肩代わりしているわけだから。


配給会社は宣伝予算で動くシステムであり、一般の人たちから現金収入を得ていない。
「結果リスクはすべて自分持ち」である。
したがって、メーカーやショップにはお客様窓口があるが、超有名企業ブランドに関わらず、
一般向けの広報窓口は閉ざされている。と言うよりは、むしろ「無い」。


これは、流通構造上当たり前の事で問題ではないが、
業界内での力関係が、外から見えにくい理由は、そればかりではない。


広告予算は、限られた一部のメディアにしか下りないから、それ以外の、
ほとんどの協力メディアには、(宣伝)結果保証の思惑をうやむやにする。

拘束を緩くする事で、金額面の話を抜きにするためだ。
そうやって姑息に(いじらしく)、映画紹介の約束を日夜取り付け続けなければならない。


そのような立場上の弱みもあり、試写会運営には矛盾も多いが、
映画を無料で紹介してくれるマスコミは、配給会社にとっても頭が上がらない存在なのである。


招待者に対する立場の明示、趣旨説明がなされないのも当然で、
プレゼントが決まってからの告知の扱いは野放し、
無料招待者のわがままも黙認状態である。



(以上は初掲載)

もしかしたら、つづく

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